アラ古希 大阪のがんちゃん日記 ブログ あなたの良さを語る人 そんな人がいました るんるんさんです 一日に2000文字に挑戦  少し前に書いたブログをリライトして2000文字以上にしていってます   今回は母を褒めちぎってみようと思います

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つぶやきチャットで自由につぶやいていたらるんるんさんが語ってくれた

人の良い面を褒めちぎって行くことはすごい素敵なことだと思う

私は人に興味がなさすぎて人を観察することも人に干渉することもあまり好きじゃない

でも褒められるとうれしい

ルンルンさんは今までどんな風に生きてきたんであろうか

あいかわらずチャットでいろんな人を褒めちぎっている

小学校一年の通知表の担任の評価が親切ですだが出しゃばり過ぎるところがあると書かれた

それ以来人に親切にしたり人に関心を持ったりすることが苦手になった

5月生まれ小学生

5月生まれは体が大きい世話好き親切

もともと明るい性格だった私がしゅんとなってしまった瞬間である

それでもまだ幼い頃からは極端にひどくはなかったけれど大人になるにつれてどんどんどんどん人の世話焼きをしたりするのが好きなくせに

嫌になった

関わらなければ傷つくことも傷つけられることもないそう思っている

差し障りのない話をし深く入り込ませない入り込まないそれを貫いている

人の顔と名前を覚えるのもすごく苦手

自分が興味のある人しか覚えてないそもそも覚える気がない

せっかちで面倒くさがり屋で人に関心が全くない

良くないことだと常々は思っているんだけれどそのほうが気楽で 気楽が好きで自由が好きで

人に一瞬関心を持ったところでどうせすぐ忘れるだろうなと思ったりして無駄な努力はやめとこうかなと初めからしない

るんるんさんは何をきっかけにそうすることに決めたのだろう少しルンルンさんに興味を持ってみようと思う

人に積極的に関心を持って親切に接して行く人は素晴らしいと思う

細やかな心遣いができる人は素晴らしいと思う

私は不動産の営業を30年近くやっていたもちろん人としっかり喋らないといけない仕事

仕事が仕事だからオフはあまり人と関わりたくないそうやって過ごして来たのかも知れない今となってはそう思う

退職の時なんかはもうヘトへトで  あーこれでも人と喋らなくて済むんだというぐらいの感じになっていた  そこからしばらく交流をしないで仕事が終わればさっさと家のテレビの前で時間を過ごすのが一番好きな時間であった

でも根暗かといえば根暗ではないと思う

好きな人はとことん好きだし師匠として仰ぐし尊敬するしただ面倒くさがりなだけ

2024年8月26日天命を全うして母は旅立った

気が強くてわがままでその母とそっくりな私なかなか上手くいくはずがない

人が見たらびっくりするような喧嘩もよくした

今では懐かしい思い出

るんるんさんのように母の良さを語ってみようと思う

気がいい誰とでも仲良しになれる誰にも話しかけていってみんな平等に話す差別はしない

どんな中にも入って行って昔から友達のように接する

いいとこばっかりじゃん

人にものをあげるのが大好き

人を想いこれあげたらあの人喜ぶかなどうかなといつも言ってプレゼントを探す

反面あの人もらってばっかりで一個もくれへんわと文句も言う そう思うならやらなければいいのにと私は思う

喧嘩するときは真剣にケンカするこれも良さである

最後はガリガリ骸骨みたいになってしまったけれど同居を始めた1017年頃はまだふくよかな感じ

笑顔がいい美人さんである気が強いので父は母の言いなり

父ば温厚な人で母の言いなり

でも幸せそうにいつもニコニコしていた

晩年は2人で旅行に出かけたりいろんなところに行って2人の時間を作っていたから2人とも思い残すことはないだろうと勝手に思っている

今の和泉市に引っ越した時も率先してゲートボールにも参加した

和泉市はつが野で七年住まいし今のうちだ町で約十年ぐらい体が動くまでゲートボールをしていた

内田町といえば昔ながらの古い村の中である

昔からの村の主みたいに人の中に入っても怯まず村の旅行にも率先して参加

私も一度だけ付いて行ったがもう堂々たるもの

人当たりが良くて誰とでも仲良しになるが一つ間違うと扁虫を起こす大事に大事に育てられたやっと生まれてきた長女だったためにわがまま放題で育っている

気に入らないことがあれば正々堂々めちゃくちゃ喧嘩をする

晩年はそれもなくなってきたが私に対してはその威力を衰えることはなかった

これは悪口ではなくて母のいいところを語っています

口喧嘩で最後の最後まで口いっぱいにしゃべり続けるのはいつも母でした

体力の弱い母に負けてあげればいいのにそれを負けじと頑張る私でした

私は内弁慶ですが母はそうではなく外に対してもいつも強気で誰と戦っているのかわからないほど頑張ってました94歳八ヶ月よくがんばりました

今思い出したのですが私が幼稚園の時代母は美空ひばりにどっぷりはまり東映の映画琴姫様とかそういうのを私の手を引いて映画館に足を運んでーました堺マチャアキのお父さんである堺駿二が出てたりして懐かしい映画です

母もどこか美空ひばりに似てるかという勘違いをしていて美空ひばりの大ファンでした

母と同じ年代の人です美空ひばりは

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