アラ古希 大阪のがんちゃんブログ  母の見送りが終わりました 94歳 大往生 老衰です  8月9日病院を退院し8月26日まで17日間ほぼ飲まず食わず点滴なしで頑張りました   誰と戦っていたんでしょう    一日に2000文字に挑戦 さて何日続くでしょう

  

母が亡くなりました老衰です

誰と戦っていたのかもわからないですが17日間ほぼ飲まず食わず点滴なしで頑張って来ていました

すごい最後です

そこまで頑張らなくていいんだよって言ってもずっと頑張り続けてました

せめて苦しくないようにせめて痛くないようにとずっと祈ってました

今までも何度か入退院を繰り返しもうだめだとお医者さんに言われながらいい意味での裏切りが何度もありました

すごい生命力の強い母です

元々少し血圧が高いぐらいで病気一つ知らず元気で強気で負けず嫌いで

親にまだかまだかと望まれて初めての子供として生まれてきているので怖いもの知らず

生まれながらに天井天下唯我佛尊

と生まれてきたような子供だったらしいです 周りから聞いた話

私が嫁入り前の頃母が嫌いで嫌いで嫌いで大嫌いで

一刻も早く家を出たいと思っていました

といっても自由を謳歌したかったのでまだ結婚はしたくないと思っていたんです 恋愛はしても

母は自分が法律でその法律を振りかざして父 私 弟 を全部押さえ込んでました 少なくともその頃はそう思っていました

そんな毎日が嫌でもう誰でもいいから結婚しようかなと思って結婚したのが今の旦那とので出会いです

24歳六ヶ月の頃です

そこからは父 弟の3人暮らしとなり私も自分の生活が精一杯でたまに顔を出すぐらいで母の害に触れることなく別に暮らしてみると母の良さがしっかり分かって同居してた頃のような嫌で嫌でということではなくなりました

私たち夫婦はお金で困ってる生活よりも共稼ぎでしっかりお金を儲けて楽しく生きる選択をしました

2人とも天職と思える仕事に出会い特に私は子育てをほったらかして夢中になって仕事をしました

若い頃の母は父の会社の倒産とを経験し大変な時期を過ごしたこともあり私の小学生時代はは貧乏だったような気がします

でもひもじい思いは一度もしたことがないので親がやっぱり頑張っていたんだなと今思います

父は温厚な人でお金を使うのが嫌いで使いかたを知らないでただただ働いていました

私からみた父は慎重で石橋をたたいて渡る人でしたもっと言うなら石橋をたたいて叩き割って渡らない人でした すごく優しい人でした平成23年10月に父は亡くなりました

母がすべて最後を面倒見たのであんまり最後の記憶が残っていません相変わらず仕事に夢中になってたと思います 私は

平成16年その頃私はハウスメーカーの営業をしていました

都市公団の抽選でなかなか当たらない途中の販売会にお客様と行ってお客様が抽選に外れいたのにずらで申し込んだ私が当選しました

一生住む家ではないけれど一瞬であってもいいから自分の設計した家に住んでみたいという夢がだんだん大きくなっていきました

そこであんなに嫌いだった母に新築を建てて同居しないかという提案を持ち上げました

その頃は弟も結婚していて弟の嫁とあまり折り合いが良くなかった母は喜んで賛同しました

父もいつか誰かに見てもらうことがあるならば今そうゆってもらってる間に同居しようと賛同しました

その頃私は新築マンションのバブルのオトシゴに引っかかっておりマンションのローンとこの新築一戸建てのローン2つかかえることになりました

それでも自分の設計した家に住んでみたかったのです

同居しないと、はじめに入れる土地代の頭金や住宅ローンの頭金が少々足らず家も大きな家を建ててみたかったので苦肉の策として同居を選びました

人はいつかは死ぬどんどんどんどん家族が減ったらまた小さな家に移り住むという初めからの計画で

計画はどんどん進みました

6SSSSLDK三世代住宅で小屋裏3階建て

自分の好きな精一杯の間取り多すぎる収納広々とした家

息子夫婦も帰ってきても同居出来るように三世代住宅を作りました

もともと帰ってくる予定はなかったのですがスケールメリットで大きく立てると坪単価が下がります

また売却する時に差別化ができてこういうものを望んでいる人に出会えればしっかり高く売れると思ったからです

その頃かなりの高給をとっていたのでマンションのローンを完済せずに新たにこの家の住宅ローンを組むことができました

ローンを組めるということと払えることとは違う後になってそれが身にしみて感じましたが作った家はとても満足で幸せでした

父は庭の整備の係母はあまり上手じゃないけれど家の掃除の係私と夫は常に仕事命で寝に帰るだけのお家でしたが平和でした

その頃仕事が忙しいのもあって母と喧嘩する暇もありませんでしたので本当に平和な時間が流れました

そこで七年の年月が過ぎ庭を掃除する父が亡くなり母と3人になったのでローンの支払いもしんどいし固定資産税もかなかなり高額でというところで同じ築年数のもう少し小ぶりの家を探し引っ越しすることにしました 不動産の仕事からも引退し食べるためだけの仕事が始まりました

それがわたくしがんちゃんのマイホーム転がしの4件目の出来事です

高額でつかんだ新築マンションはローン残債多額のため売ることもできず賃貸に出すところで解決しましたいまではローンも終わり無事に家賃収入が入っております

建築年数の同じ平成17年築の4LDK 3人で暮らすには充分でした

これも上手に見つけかなり破格で購入できたので大満足です

家賃程度の支払いで車が2台止められて犬も飼える いろいろ賃貸とも比較しましたがこれがベストな選択でした

前より小さな家に移ってきて母ともっと近しくなりました

そうするとやっぱりお互いに我が出てきて大げんかが幾度もありました

懐かしい思い出です体力の弱い母が私には絶対に負けなくて最後まで大声を張り上げていました

それが長生きの秘訣だったと思います

私も生きがいとは違う再就職でそれでもお金を貯めるのが大好きで頑張って働いてました

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