アラ古希 大阪のがんちゃん日記 特別養護老人ホームに いる 母の話  一日に2000文字に挑戦ちょっと前のブログをリライトして2000文字以上にする 2024年9月母は天命を全うし行ってしまいました

最後の住処

母の話 母は今 特養老人ホームにいる。
まだ ボケていない。

かわいそうという友人もいるが、家で私が介護したら体力的に私が持たない。


ある友は家で最後まで自分の母の面倒を見た。
最後の最後まで自宅で面倒見た。

どんどん 子供 化していく母をずーっと見守りながら 根気強く 、最後まで面倒見た。

彼女は私よりもう少し若い頃の介護ではあるが、今の年になってからでもそれをする人かもしれない。するだろう。


自分の体も持て余しているのに、私にはそれができない。

母には申し訳ないが、しっかり 割り切って自分のための自分の人生をしている。

母も同じく 何をおいてでも、自分のための人生を生きてきた。

母を 見取ってから自由に生きるということは、自分の体が動かなくなってからになると、一生懸命言い訳をしながら、自分本位で生きている。

時々会いに行くと、すごい怖い顔で睨みつける。
娘に捨てられたと。
早く死にたいと。

耳が聞こえないので 一方的に、あとは 目をつむって じーっとしてる。

今も強気でわがままである。
おこれるだけ 、元気で安心している。。

今の母の写真

やっぱり ボケた方が最後は幸せかもしれない。

少女に戻れるのだから。

自分も同じことを繰り返すのか・・・



絶対にそういう老い方だけはしたくない。

子供を恨んだりしないで、最後まで平和に生きるのが私の目標。

自分のために。。

そのために早くから老人ホームに見学に行ったり介護付き分譲マンションを見に行ったりいろんな勉強している

介護オフ会に参加してみたり

でもやっぱり自分は自分の意思で自宅に介護の人が来てもらって自宅で死にたいと思う

その準備も人任せにはしないで今から家を作り最後までそこで生き抜く覚悟で終の棲家を探す

本日は面会いく予定。

母も自分のために心静かで穏やかに過ごしてほしい。


最高の人生の見みつけ方

最高の人生の終り方

私は自分のペースをみだされるのが嫌い。
超わがまま。
母は その5倍 は、わがまま。

祖母は 中々子供ができなくてやっと授かったのか母であった。
そのおかげで、 超やんちゃ超わがまま。
その界隈では有名だったらしい。

そんな母に振り回されるのがいやでいやで、私は24歳の時結婚という形で家を出た。

その当時は 、一人暮らしというのは考えにくく、私はまだ一人暮らしをしたことがない。

5番目くらいに好きな、今の旦那との結婚。

その頃は恋に恋し片思いの連続。

好きな人の前では緊張しで話ができなくなる。

それで面白くない奴のレッテルを貼られすぐ失恋。

そから片思いがはじまる。

いくつか恋愛をしては片思いし、今の旦那に会う。

きらいではない。
でも結婚したいほど好きでもない。

昔のお年頃という年齢。  

24歳。
母が早く結婚するしろとうるさい。

仕方なく今の夫を紹介する。

親のダメ出しも期待しながら。

それがどんどん拍子で話が進む。

お金が沢山あって自由に暮らすが共通の価値感。
共稼ぎを選ぶ。

今の姓になった時のお話。

お互い休みも時間帯も全く違うすれ違いの多い夫婦

だから今も鮮度が良くて超仲良しでいられるし

今も平和に気軽に楽しく過ごしている。

あと3年で元の姓の倍。 
生きることになる。

最高の人生のみつけ方
最高の人生の終わり方

2024年9月母は亡くなった上記の写真は十数年前のもの父もその頃は元気で父が亡くなってもう七年になる

特養老人ホームにいる時の写真と全く違う

この写真はかなりふくよかだけれども老人ホームに入る頃の母はほとんど食欲もなく食べることを捨てていた

この五年間ぐらいはハチミツとチョコレートとメイバランスで命をつないだ

食べることが好きだった母も年とともに食が細くなりふくよかな顔もどんどんどんどんほっそりとして行った

私も今充分ふくよかである母と同じでもう少し年齢が上がっていくとスマートになれるのだろうか

父と母の冥福を祈るばかりである


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